唐三郎窯とは
加藤唐三郎

三十一世 唐三郎

平成三年四月 襲名 旧名 幸次


略歴

昭和二十三年
愛知瀬戸市 赤津に生まれる。
昭和四十九年
東海伝統工芸展 初入選 以降連続入選
昭和五十三年
日本伝統工芸展 初入選 以降入選を重ねる。
昭和五十四年
東海伝統工芸展 奨励賞受賞 以降五つの賞を受賞。
平成三年
第三十一世 加藤唐三郎を襲名
平成四年
「東海の作家たち」展出品
平成八年
東海伝統工芸展 審査員 以降三回審査
平成九年
丸栄(名古屋)個展 以降隔年個展開催
平成十七年
万国博覧会長久手会場 日本庭園 陶壁作成
平成二十年
瀬戸市無形文化財 御深井技法で保持者に認定
平成二十一年
瀬戸市無形文化財保持者認定記念展
個展多数 東京・横浜・奈良・下関・岐阜 他

現在

  • (社)日本工芸会 東海支部 幹事
  • 瀬戸陶芸協会 常任理事
  • 県立瀬戸窯業高校 専攻科 非常勤講師
  • CBCクラブ 会員

  • 日本工芸会 正会員

唐三郎窯の由来

尾州徳川家御用窯

慶長十五年二月、十九代加藤唐三郎景貞の時御用窯屋として召出され、御用を勤む。このとき苗字帯刀を許され、屋敷、窯場、工場等々の地を賜る。
又尾張城下に窯を建てお庭焼きを勉める。これを世に御深井焼と云う。
爾後赤津に於いて御高十五石を代々受領する。これから以降廃藩まで代々御用をつとむ。

加藤唐三郎の家譜

唐三郎家と仁兵衛、太兵衛家の関係
初世
景正 藤ノ四郎兵衛 春慶
貞応2年3月道元禅師に随い唐に渡り、陶技を練修、安貞2年8月帰朝後瀬戸に窯を築く、時任三千一寅年なり、瀬戸陶業の祖なり。
2世
基通 藤次郎 後改 唐四郎
黄瀬戸焼の発明者。後世真中古と称す。
3世
景國 藤三郎 改 唐四郎
其作品を中古物金花山云う。
4世
政連 藤九郎 改 唐四郎
椿窯の祖、破風窯と云う。渋紙手発明者也
5世
信政 唐四郎 改 唐四郎
6世
政光 藤冶 改 唐四郎
7世
基実 小右衛門 後 唐四郎
8世
基房 六之亟 後 唐四郎
9世
兼実 九左衛門 後 唐四郎
10世
基冶 五郎右衛門 後 唐四郎
11世
政長 藤十郎 後 唐四郎
12世
基時 八十右衛門 後 唐四郎
13世
政高 仁三郎 後 唐四郎
14世
基光 仁兵衛 仁兵衛
15世
景長 藤右衛門 後 仁兵衛
16世
基久 藤三郎 藤三郎
17世
久種 冶郎右衛門 後 唐三郎
18世
景頼 藤左衛門 藤左衛門
19世
景貞 利右衛門 後 唐三郎
初世景正より19代の直系に当たる。慶長13年美濃國郷之木に移り陶業を営んでいたところ、慶長15年2月5日、景正の直系の家系の者として、徳川家康公の命により召出され、赤津に於て家康公並びに尾張徳川家の御用を勤むべく命ぜられた。  この時景正名を唐三郎と改め、苗字帯刀を許され爾後窯屋として家宅、窯場、御除地八反五畝二十四歩を永代拝領し、年貢諸役を免除された。
20世
景康 唐三郎 唐三郎
慶安3年尾張藩主徳川義直公の御恩召により御城下お庭に窯を築き御庭焼をはじめる。世に之を御深井焼と云う。爾後赤津に於て御高十石目を受領する。
21世
景則 唐三郎 唐三郎
寛文13年丑年に尾張藩主光友公より毎年金十両永々下賜の命を受く。
22世
景定 藤九郎 後 唐三郎
23世
景友 義左衛門 後 唐三郎
24世
景藤 三之助 後 唐三郎
安永5年3月13日国守の男掃部頭本村雲興寺に臨みし時其製品を徴せる。依て金三百疋下賜せられたり。
25世
景明 戸三郎 後 唐三郎 号春洞
26世
景久 亀三郎 後 唐三郎 号春龍
27世
景賢 賢二郎 後 唐三郎 号春賢
19世景貞より27世景賢まで代々尾張家御窯屋として御用を務める。
28世
景良 重五郎 後 唐三郎 号陶仙
明治41年京都表千家禄々斉大宗匠の御来臨を忝し、陶仙の号記を賜う。各地の品評、展覧会に出品して受賞す。
29世
幼名 次 郎 後 唐三郎 号陶泉
昭和5年忝くも貞明皇后、秋泉御茶室用の御数茶?の御用命を受け、謹んで御製作しご受納の光栄に浴す。昭和17年技術保存認定者の資格を得る。
30世
唐三郎 幼名 俊郎
一、 芸術保存作家に認定される。     
一、 芸術陶器認定作家の資格を得る。    
一、 日 展  入 選   5回    
一、 日ソ展  入 選           
(ソ連美術館永久保存)

唐三郎窯へのアクセス

地図
  • 尾張瀬戸駅からバスで 15分
  • せと赤津インターから車で 5分
  • 駐車場あり